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ワルツ

雪と風が強くなった。
電信柱の蛍光灯が照らす下で、何人もの子どもたちが冷たい風に頬を赤くしながら喋りあっている間をわたしはうつむきながらすりぬけた。コートが風を孕んで膨らむのを、ぎゅっと押さえた。そのまま歩き続けようと思ったが、ふと歩調がゆるんだ。木の香りがしたように思えたからだった。

顔をあげると、いつもは閉まっているその店のドアが少し開いていた。黒く塗られたスチールのそっけないドアの向こうに、仄昏いあかりに照らされて、飴色をした木の階段が地下に続いているのが見えた。わたしはドアのすきまからすべり込んだ。森と泥の匂いが強くなって、子どもたちの声がフィルターをかけたように遠くなった。

ウッドベースの弦をはじく音が聞こえた。濡れて滑りそうな階段を、わたしはゆっくりと降りた。階段の先にある、ポスターやチラシで埋め尽くされた扉も少し開いていた。入り口前の床に原色の緑をした人工芝のシートがガムテープで張られていた。その上に無造作にぬぎすてられた長靴や手袋をまたいで、中に入った。

また弦をはじく音がした。一度、二度、高さを変えながら。狭いホールの奥にステージがしつらえられ、男がスツールにもたれてぼんやりと音を試していた。その前に大きさも形もさまざまな椅子がいくつも並んでいる。手前にあるカウンターでは、ぱさぱさの茶色い髪をした若い女の子が熱心にグラスをみがいていた。わたしはその前を通り抜けて、コートを着たまま男の正面の、一番後ろの椅子に座った。

男が楽器から顔をあげた。視線がわたしをまっすぐ通りぬけて、背後のドアにぶつかった。しばらくそのまま、何かを待っているような表情で彼はわたしの向こうをみつめた。長い指や薄い胸板が、彫像のように停止した。階段の上から、トラックが荷台をがたんがたん言わせながら走り抜ける音がした。かすかに女の子たちの笑いあう声もした。

やがて彼は息を吸い込んだ。視線を自分の足元に戻すと、一番重い弦を押さえた。一度、二度、その弦をはじく。音が消える直前に、同じ音をもう一度。なにかを聞き取るように間をあけてから、左手がネックを撫でるようにすっと動き、低く低く、ワルツがはじまった。

わたしは椅子の背もたれに自分の重みをあずけて、目を閉じた。針葉樹の森が、つめたい瞼の向こうに広がっているのを想像した。雪が降りしきり、誰もが眠り込んでいる静寂を想像した。わたしは知っていた。この気持ちは、さびしさではない。恋しさというのだ。

三つ目の音を見つけたのは、だれだったろう。

わたしを無視して、ワルツは、世界は続いていった。