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天のいくつか

天国とよぶにはせまく写字室とよぶにもせまい北向きの部屋
羊皮紙のおもてをナイフでけずるたびじぶんの帯びるけもののにおい
うっすらと煤をかぶった肉体は鬼火のようにほの青白く
クレソンの水辺をゆけばうつくしい鹿の骨などときに見つける
牙 尻尾 蹄 翼 ひそやかにまなうらへ描く悪魔のかたち
杯のひかりにうずくまっているいっぴきの蝿 その目の真紅
ドレープの滝にのみこまれる視線 聖母のかおを見上げられない
女たちの女のための生活をねえ知っている?アウグスティヌス
生活の尽きたところをすこし借りここは見捨てられるのによい地
古い石なぞれば古い語をかたる その名ではもう誰もよばない
召んだのは神ではなくて絵だったと言ってしまえば夕食は水
遠くからみればたかだかひとの群れ 仮病の窓をひとひら開き
インク壜たおしたようにむくどりが塔からあふれ あ 鐘が鳴る
名乗るひとなくてわたしが叱られる だれかの結った馬のたてがみ
《いもうと》が手に押し込んでゆくパンのかけら かすかなぬくみとしめり
聖書にはパンを増やしたものがたり むくどりたちへちぎって投げたく
金曜のニジマスたちはさばかれて誰かささやくほどのキリエを
フェンネルをうすいスープに浮かばせてこういう線をひけたらねって
指先でちいさく空にはなつf あなたの中にいきづく書体
頭文字(イニシャル)はぶどうの蔓をからませてきっとはげしく燃え上がる文字
下書きをのこしたままの空席に花のかわりに挿した羽ペン
子どもらがひとりの影にひとりずつ跪くのを かみさまはどこ
ほんとうにあなたはいたの くりかえしのぞまれるまま描く奇跡譚
世界 になってしまってどうですか 雨のことばは 雲のからだは
はるばると雲が地上をぬぐうときぬぐいさられてしまいたかった
色の名で毒をよぶこと たとえばわたしを装飾師とよぶことは
ゆるすたびわたしへ滲みゆくようなマギストラの手ひんやりとして
いくつもの陸をわたってきた青の約束の地としての羊皮紙
筆先を口に含んでととのえる 悪い癖 とその声はだれ
糧としていただきましょう塩とパンそしてすこしのラピスラズリを
おしまいのらっぱを鳴らす御遣いのよこむきの顔あの子に似せる
地獄へと落ちるはやさはどのくらい 夕立のように落ちてゆきたい
たいせつに閉じ込められてゆく写本その中へ置く天のいくつか


第三回笹井宏之賞応募作から改作・抄録です。

参考文献
https://advances.sciencemag.org/content/5/1/eaau7126
杉崎 泰一郎, 修道院の歴史 聖アントニオスからイエズス会まで, 創元社, 2015
野田 浩資, ドイツ修道院のハーブ料理, 誠文堂新光社, 2016
佐藤彰一, 贖罪のヨーロッパ 中世修道院の祈りと書物, 中央公論新社, 2016