kugatu.net

夫のバイク

3歩ほど遠いところでながめてもやはり大きい夫のバイク
ヘルメットつけて異星の人になる目のところだけ知っている人
はじめての遠乗りの日の祈りなどもごもごと言う イッテラッシャイ
すこしずつ家を離れてゆく人の道の始点にはみ出してみる
十分に人のかたちをしているかわからないので部屋にもどった
とうめいな結び目 おなじ日々というひとつの息をすってーはいてー
✓ 病めるとき ✓ 健やかなるとき ? どちらでもないぼんやりと不安なるとき
包丁は丸い刃先のものだけをそろえてあって安全な家
想像のなかのバイクはもろともに車線いっぱいまで砕け散る
もしかしてその日はきみの救いかもサービスエリアのコーヒーの写真
コーヒーを淹れるコーヒー淹れられるただのドリップパックだけれど
写ってるバイクはいつもこの角度この傾きは公式なのか
富士山も隅に小さくおさまってわたしのスマートフォンへととどく
返信がとだえ なにかをさまたげる気がして送れないメッセージ
にんげんの大きさがよくわからないマップアプリをひろげてちぢめ
高速の道路マップの赤い×だれを示しているかはいわず
一首読む 読めていなくてまたもどる連作ひとつ読み終わらない
前髪をぺたぺたにして真夜中にきょうという日が帰宅してくる
おみやげのレーズンサンドふたりってこんなにしんとしていたろうか
その道はきっと一生通らない 道としてまあよくあることだ
みなかったことにしたなら事故動画なかったことにできる(できない)
一族でいさめてみるもいかんせんどの説得も人力だった
いきものにそこはかとなく倦んでいるようなところが好きだったのだ
暦では夏 恋の次その次をみな生きてゆく雲ふくらんで
すこしずつ不在に慣れてこれもまたなにかの練習なのかもしれず
「夏」の文字さみどり色にしるされてきっとあさぎりこうげんもそう
晴の日のきみはバイクのものだねと言ってしまって 言ってしまった
この部屋はことば未満を満たす箱おやすみなさい言わずに眠る
なぐさめてもらう夢って悪夢だろ朝焼けに部屋入りこまれて
鍵ひとつあることの謎もしかしてわたしがここを出るときのため
晴の日の道をわたしのものにする蟻をふまないようにしながら
路線図を知らない街だ背中だけ見ていてそれが終点だった
給水塔 あかしあ 草地 信号機 わたしはひとの歩く速さで
そうだったひとは一人で歩くとき世界をやっと見るんだ 広い
いつからか喧嘩をかわれなくなった海になるまでずっと川岸
あたらしい水あたらしい水がきて橋とわたしをつぎつぎくぐる
いつの日か彼岸と呼んでいた岸だ青いすすきがあるだけ匂い
たえまない水のことばが丸くした小さな石のからだをなでる
はぐれたいいきもの同士だったはずムクドリの雲木にすいこまれ
負けはせぬ なにに バイクに バイクには バイクにはなれないってことに
あごひげが一本白いそんなことをきっとさいごまで見つめている
名前などつけないのかと尋ねればそういうものではないと5秒後
いきものに近いのかもとナナハンにあらわれてくるいきものらしさ
銀色のカバーのかかっているバイクそこはかとなく小さな象だ
マフラーがかわらなければエンジンのひとつやふたつ聞きわけている
確実にわからないまま死ぬだろうバイクの風もきみの心も
いつの日かおばあさんは吟行へおじいさんは遠乗りへいきました


第二回笹井宏之賞応募作から抄録です。